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2009/04/25 技術士と転職について その2

こんにちは。
今回は『技術士と転職について その2』と題して、
前回に引き続いて、実際に私が体験した転職活動の顛末についてお話いたします。

実は、前回もお話したとおり、私は二度、転職を志しています。
そのうちの一つは、かなりイレギュラーな形なのですが、
ホームページでもご紹介しているとおり私は元々文系出身で
「機械メーカーの営業マン」から「上下水道の技術者」になるという、
きわめてダイナミックな転職でした。
そしてもう一つは、その「上下水道の技術者」が、
同業他社、それも格上の他社への転職を図るという、
きわめてオーソドックスなものでした。

そのうち、イレギュラーな前者は実際に転職を図ることが出来ました。
しかし、オーソドックスな後者は、
転職を果たすことが実際には出来なかったのです。

あなたに転職を勧めるわけではありませんが、
技術士を目指すあなたの何らかの思考の材料にならないかと考えまして、
この私の成功例と失敗例について、その顛末をお話いたします。

この二つの転職活動のうち、今回は一つ目の転職についてご紹介します。

転職という行動に至るまでの状況は、
技術士“合格の仕組み”講座のホームページにも詳しく書いていますが、
転職を志す大きな理由ですので、もう一度ここでご紹介します。
私は元々文学部の学生だったのですが、大学4年生になって就職活動をするにあたり、
文学部にはありがちな「就職どうしよう症候群」に罹患してしまっていたのです。
つまり、卒業後にどのような道にすすもうか、という具体的なイメージ、
すなわち人生プランがどうしても沸いて来なかったのです。

同じ文系でも経済学系の学生であれば、
バブルという時代背景も手伝って
銀行や証券会社などに就職するというコースが半ば敷かれているようなものなので、
あまり思い悩むこともなかったのでしょう。

しかし、文学部ともなると、その専門分野から考えると、
自分の職業というものについて具体的なイメージを描くことが難しい面があるのです。
しかも、当時はバブルがはじける直前の時期で、
“超売り手市場”ということで、文学部の私のようなものでも、
希望さえすれば、銀行や商社などといったような一部上場企業の、
しかも超大手の企業から内定をもらうことも十分可能な状況だったのです。

そんなフワフワした状況の中で、
将来の自分の進むべき道が見えない私は、
ひとまず親を安心させるために
「いったい、どうしようかなあ・・・」
という非常に後ろ向きな気持ちで、
まったく身が入らない就職活動の時期を過ごしていたのです。

当然、周りの人たちは全員就職活動に励んでいるわけですから、
まわりの友人の話題もそのようなことばかりでした。
当時は、たくさん内定をもらうことがステータスであるかのような雰囲気があって、
私の周りの友人たちも、いつどこで自分の将来について熟考して決心したのか、
嬉々と“志望企業”を設定しては意欲的な就職活動を展開していました。
そして、その成果を競うように吹聴していました。

しかし、前述のような理由で、
なかなかそんな心のモードになれない私は、
そのような友人達をひややかに見ることしか出来なかったのですが、
「結局、いまはどのように将来を生きたいのか、答えは出ないな・・・
だったら、とりあえず就職だけして両親を安心させるか・・・」
といった理由を無理やり作って、一応、
他の人に合わせるように就職活動をし始めたのです。

しかし、時代の勢いというものは恐ろしいもので、
そんな後ろ向きな私が、たいした理由もなく志望した一部上場企業数社について、
トントンと選考が進んでしまっていたのです。
そして、特に志望する企業があるわけでもなかった私は、
一番最初に内定をいただいた企業、一部上場の機械メーカーに
就職することにしたのです。

そのようなぞんざいな就職の仕方だったわけですから、
「いつか、辞めることになるだろうな・・・」
ということを、実は入社以前から感じていたのです。

そのように大した期待も抱かずになんとなく就職した会社だったのですが、
実は、その後の私の考え方、生き方に、多大な影響を及ぼすこととなったのです。
特に、当時お世話になった直属の上司は、
野球で全国的に有名なとある高校の野球部OB会の会長を務めているような方で、
その方の本格的なリーダーシップに公私にわたり触れる機会をいただけたことは、
この上ない財産になっています。
運命は侮れません。

今回の主題は転職なので、
その当時のいろいろなエピソードについて触れることはいたしません。
しかし、そのような意味で、辞めた今でも、私はその会社のファンです。
また、今となっては、そのような気持ちで入社したことを、
非常に申し訳なくも感じています。

社会人として全くの新人である私を、時に厳しく、時に暖かく
育ててくれたことについての恩義は、忘れることはできません。

話を戻しますが、そのような環境の中で、
予定通り、入社4年目にとうとう一つの決断を下すことになったのです。
このあたりはホームページのトップページに詳しく記載していますが、
転職したい、と思いながらも、
なかなかその進むべき道を見つけられない自分に、ある出来事が起こったのです。

それは、一つの本との出会いだったのです。
「大地の川」という建設省の方の本だったのですが、
三面張りで自然が失われた川に、
もう一度自然を蘇らそう
という趣旨の本だったのです。

それを読んだときに私の中にとうとうブレイクスルーがおきて、
自分は絶対にそのような道へ進もう、という決心がついたのです。
水をきれいにする技術者になる、という道ですね。

いよいよ、初めてでありながら、かつ予定されていた
転職活動の火蓋が切って落とされたのです。

しかし、当初は、就きたい職種は発見したものの
いったいどのようにすればそのような仕事に就けるのかが皆目見当もつかない、
雲をつかむような心境だったのです。
したがって、いい意味でも悪い意味でもまずはゼロベースから考えざるを得ない状態で、
様々な方にアドバイスを受け続けたのです。
そのように熱意に任せて積極的に動いた結果、
期待通りに様々なアドバイスをいただくことができたのですが、
いずれにしても、
いきなり機械メーカーの営業職がそのような技術職に転身しようがない、
という結論に達することになったのです。

そして、転職活動の第一段階として、
まずは27歳のときに土木系の大学に編入学することを決断したのです。

しかし、高校二年生のときに基礎解析や代数幾何で躓いた私ですから、
営業の仕事をしながら試験勉強をするのは結構ハードだったのですが、
やはり果たしたい夢があったために、なんとか苦難を乗り越えて
編入学試験にパスすることができたのです。

とはいっても、入学後も、かなり多難を極めました。
学力的にも経済的にも、
かなり厳しい局面を何度も潜り抜けて、
なんとか4年次に進級して、やっとのことでの就職活動です。

しかし・・・。
そのとき既に満年齢は29歳に達しており、
おおきなハンディキャップを背負っての就職活動を余儀なくされていたため、
ほとんどの企業からは、志望の段階で断りの連絡が
企業から就職担当教授のほうに入るという、惨憺たる状況だったのです。

はじめのうちは、こんなことでめげてはいけない、
と自分に言い聞かせてはいたものの、
いくつもいくつもそのような門前払いを受けつづけてしまい、
心根がボキッと折れかかっていたところ・・・。
もうここがダメならあきらめるしかない、という心境で臨んだ一社から、
意外や意外。
大方の予想に反して面接通知をいただくことが出来たのです。

もう、そのころは
“自分は世間から拒まれているんだ・・・”
という思い込みで怖気づいて、
さらに“失業の恐怖”も容赦なく襲い掛かってきているという、
そんなさ中の面接通知だったために、
うれしい、というよりも驚きのほうを先に感じるほどの心理状態でした。

そして、いよいよ面接に臨むことになるのですが、
その前に会社訪問に来るよう連絡があったので、
指示通り最寄の事務所を訪問させていただいたのです。

会社訪問といっても、実は面接そのものでしかありません。
会社の私に対する評価はすでに始まっているのです。
しかし、そこはかつて営業として顧客対応についてはある程度の経験と知恵がありますから、
まごつくことなく、普通にこなすことができました。
そして、私のこれまでの転職の経緯についても情熱をこめて説明し、
それをきちんと聞いていただくことができたのです。

そのような会社訪問が終わって帰宅した私は、
こんな私のような学生に対しても誠実にご対応いただけたことに強く感動して、
すぐさま、ご対応いただいた事務所長様にお礼状をお出ししたのですが、
それはごく自然な行動でした。
“会社訪問といっても、形式的なものなのかな・・・どうせダメなんだろう・・・”
という半ば諦めの心境ではあったのですが、すくなくともきちんと話を聴いていただいた、
ということに対しては、どうしても感謝を申し上げたいと思い、
「仮にご縁が無かったとしても、きちんとご対応いただけたことに感謝申し上げます」
といった内容のお礼状をお出ししたのです。

その後、正式な一次面接の通知がありました。
私と同時に面接に臨んだ学生は私を含めて4人でした。

そして、予想に反して二次面接の通知を受けて、
その後その会社の本社であった二次面接に臨んだのですが、
一次面接で同席した他の3人とは、実はその二次面接の会場が最後に・・・。

最終面接では、その3人と出会うことが出来なかったのです。
つまり、二次面接を通過したのは、その4人の中で私一人だったのです。
明らかにハンディのある、一番合格の可能性の低い私だけが、
パスしていたのです。

これは入社後に聞いた裏話ですが、私が採用された大きな理由に、
最初に会社訪問したときの事務所長の推薦があったそうです。

そのことを当時の事務所長にうかがってみると、
「あんな手紙をもらったら、どうしても心が動いてしまうよ」。


このように、なんとか希望する道への扉をこじ開けることができたのです。

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